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宇河さんに失望気味

今見たら、超久しぶりに宇河さんのブログが更新されてた。

なんだかなあと。

結局朝霧の作業は2の次で読みきりの作業してたんですか。

しかも、あんまり申し訳なくなさそう。

生活のこととかもあるだろうし、連載持ってないなか、読みきりなどの作品発表で少しでも収入を得る必要があるとかの場合、一時的に朝霧の作業が2の次ってことになってもやむなしかなと思うけど、ブログを見る限り、読みきりの作業に馬鹿みたいに過剰に夢中になって、結局元々発表していたスケジュールを壊しているように見える。

読みきり2作のページ数が両方とも当初の予定の倍(かそれ以上)近くになったという話からも、計画性のなさというか、見積もりの甘さが見える気がする。

自分のこだわりを大事にし過ぎて、自分をコントロールできないタイプ、結果的に周りに迷惑をかけるタイプの典型な気がする。
実際、朝霧の連載中も、原稿落としたり、下書き原稿載せたりしてたしね。


別に本人にとってその方が楽しいんならそれでいいじゃんって考えを否定はしないけど、あくまで本人にとってはそれでいいんじゃないのって話であって、本人でない他人が、失望したり、呆れたり、批判したりするのが許されるべきでないかは、別だろう。

不興を買ったり否定的な見方をされることがあっても、仕方ないだろう。
それに、そういう意見を言うことが、法的に許されてない訳でもない。
(不愉快に思うことが推奨される行動だと言う訳ではないが、しかし、実際に人々の好き嫌いを考えると、しょうがないだろうと。)

近頃は、「気に入らないなら黙って離れればいいじゃん!文句言うなんてお門違い。」みたいなことを言う輩が多い気がするが、僕はその考えが正しいとは思わない。
社会のモラルを維持するためにも、言うべき批判は言っていくことが望ましいと思う。
誰かに何か傷つくことをされても、泣き寝入りするしかないような社会が良いとは思わない。
(勿論、ものによるが。)
読者なり客なりが離れることが、ある意味罰であるとも言えると思うが、しかし、それだけで十分かというと、そうではない気がする。
他の例で言うと、「人を殺したら刑務所に入れられるし、前科者としてろくな扱いを受けないっていう報いを受けるようになってるんだから、別に好きに人殺しをさせてもいいじゃん」ってことにはならんでしょう?って感じかな。


まあ、結果的に力を注いだ読みきりが、それはそれで読者を楽しませるものであるならば、「朝霧は遅れたけどおかげでこれが読めたんだし別にいいじゃん」とか思う人もいるだろうけど、僕は読みきりがどれだけ面白くても(朝霧より面白くても)、平然と不義理をするような人間には、あまり良い印象はもてなさそう。
(別に朝霧を待ちきれないって訳じゃないのだけど、約束を破るようなのはね。)

ま、作品と作者をすっぱりと分けて味わえる人ならそういうこともないのかなと思うけど、僕はそうでもないようだし。
というか、作品は作品で楽しめても、作者に対する不信感はぬぐえないといった方が正確かな。
作品だけが問題で作者はどうでもいいって考えの人と、作品も作者もどちらも評価の対象とする人との違いなのかなと。
作者の質なんか、作者と友達付き合いするとかじゃなけりゃ、どうでもいいと考えた方が、楽だと思うけどね。

2008/12/20 05:07 | 日記 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0) | PAGE TOP▲

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